甲州街道紀行

No.110「須賀神社」

< No.109 勝興寺
No.110A 須賀神社男坂 >
所在地

東京都新宿区須賀町

概要

須賀神社は、稲荷神社と牛頭天王社を併せて、江戸時代には稲荷天王合社と呼ばれていました。 稲荷神社については、赤坂一ツ木に鎮座していた稲荷神社が、別当寺宝蔵院とともに1634年(寛永11年)当地へ遷座したものです。 また牛頭天王社は、当地を所領した馬込勘由が、旧所領日本橋大伝馬町の守護神牛頭天王社(神田神社内)を、守護神として寛永20年四谷の氏神様として勧請しました。 明治元年に須賀神社と改称、明治5年には郷社に列格していました。

現地説明板

新宿区指定有形文化財 絵画

須賀神社の三十六歌仙絵

所 在 地 新宿区須賀町五番地
指定年月日 昭和六十一年三月七日

三十六歌仙は、平安時代中期の公卿藤原公任(九六六~一〇四一)が、過去及び同時代の優れた歌人三十六名を選定したもので、万葉歌人から柿本人麻呂・山部赤人・大伴家持の三名が、 平安時代前期の「古今和歌集」「後撰和歌集」頃から紀貫之・在原業平・小野小町ら三十三名が選ばれている。

須賀神社の三十六歌仙は、三十六歌仙を一人一枚の絵に仕立てたもので、縦五五センチメートル、横三七センチメートルの絹地に彩色したものを、額装して拝殿内に掲げている。

天保七年(一八三六)に奉納されたもので、当時、文人画家として高名だった四谷大番町(現在の大京町)の旗本大岡雲峰(一七六四~一八四八)が絵を、 和歌や書画で人気を博した公卿千種有功(一七九七~一八五四)が書を担当した。

四谷の総鎮主として信仰を集めた須賀神社の隆盛を物語る文化財の一つである。

なお、三十六枚の作品の詳細については、新宿ミニ博物館「須賀神社三十六歌仙絵」の掲示板とパンフレットに開設を掲載している。
※三十六歌仙絵は、拝殿で儀式をおこなっているときは拝観できません。また、神社の許可なく昇殿することはできません。

平成二十八年十二月二日

新宿区教育委員会

フォトギャラリー

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地図
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参考文献
編集メモ
写真撮影日 最終リンク先確認日
  • 2021/02/04
  • 2021/03/12