甲州街道紀行

No.137「内藤町説明板」

< No.136A 四谷四丁目交差点
No.138 四谷大木戸跡 >
所在地

東京都新宿区内藤町

現地説明板

新宿は、四谷大木戸を出て甲州街道の第一番目の宿で、品川、板橋、千住とともに江戸から出立の四宿の一つであった。 正面の森の中に内藤駿河守の下屋敷(今の新宿御苑)があったことから、内藤新宿といわれた。 四宿のうち往来の量も多く、最も栄えたのが品川宿だったが、文化五年(1808)の喜六には、 旅館の数五十軒、引き手茶屋は八十軒とあり、品川宿よりも繁栄していた。 宿場の外は武蔵野を切り開いた畠地で、農産物は馬で江戸市中に運び込まれ、新宿は百姓の馬と、馬糞の宿場とされていた。 広重は、そうした宿場をものの見事に、一枚の絵にまとめあげ、左側の大きな桶と手桶を防火用に備えた家並に、旅情を慰める引き手茶屋と飯盛り女、 右側にはまるまると太った馬の尻と地面には馬糞が描かれている。

この絵が発表された直後、広重は日本橋の床屋へ行ったところ、客達が口々に「こんど出た内藤新宿の馬の尻なんざあー、うめえもんだ」と、しきりに誉めていた。 あまりの誉めようにすっかり照れた広重は、逃げるように出ていったという。 当時江戸中をわかした作品である。

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編集メモ
写真撮影日 最終リンク先確認日
  • 2021/02/04
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