甲州街道紀行

No.139「水道碑記」

< No.138 四谷大木戸跡
No.140 内藤新宿開設三百年記念碑 >
所在地

東京都新宿区内藤町

概要

水道碑記は、新宿通りの新宿区四谷区民センター内にある東京都指定文化財です。 ここは、江戸時代に玉川上水の水量や水質を管理した水番所のあったところです。 それを記念して、明治28年(1895年)に石碑が建てられました。 高さは4.6メートルにもおよぶ大碑で、碑文は漢文です。 玉川上水建設の理由や、請け負った玉川兄弟の事績をたたえた内容が記されています。 玉川上水はここで水量を調整され、地下へともぐり、石樋や木樋で城下へと配分されました。 主として江戸の西南部の飲料水として使用されており、明治以降も近代水道設備に衣がえしながら使用され続けてきました。 地下鉄工事などで出土した石樋や木樋が新宿歴史博物館に保存されています。

現地説明板

史跡

玉川上水水番所跡

所在地 新宿区内藤町八十七番地

玉川上水は、多摩川の羽村堰で取水し、四谷大木戸までは開渠で、四谷大木戸から江戸市中へは石樋・木樋といった水道管を地下に埋設して通水した。

水番所には、水番人一名が置かれ、水門を調節して水量を管理したほか、ごみの除去を行い水質を保持した。 当時、水番所構内には次のような高札が立っていた。

一、

此上水道において魚を取水をあび
ちり芥捨べからず 何にても物あらひ申問敷
並両側三問通に在来候並木下草
其外草刈取申問敷候事

右之通相背輩あらば可為曲事者也

元文四巳未十二月    奉行

水道碑記

指定年月日 昭和五年十二月

玉川上水の開削の由来を記した記念碑で、高さ四六〇センチ、幅二三〇センチ。 上部の篆字は徳川家達、撰文は肝付兼式、書は金井之恭、刻字は井亀泉によるもので、表面に七八〇字、裏面に一三〇字が陰刻されている。

碑の表面には明治十八年の年紀が刻まれているが、建立計画中に発起人西座真治が死亡したため、一時中断し、真治の妻の努力により、明治二十八年(一八九五)に完成したものである(裏面銘文)。

四谷大木戸跡

四谷大木戸跡碑(この説明板の裏側にある)は、昭和三十四年十一月、地下鉄丸ノ内線の工事で出土した玉川上水の石樋を利用して造られた記念碑である。

実際の大木戸の位置は、ここより約八〇メートル東の四谷四丁目交差点のところで、東京都指定旧跡に指定されている。

平成二十四年六月

新宿区教育委員会

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地図
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参考文献
編集メモ
写真撮影日 最終リンク先確認日
  • 2021/02/04
  • 2021/03/18