甲州街道紀行

No.167「築地本願寺 和田堀廟所」

< No.166 塩硝蔵跡
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所在地

東京都杉並区永福

概要

築地本願寺和田堀廟所は、親鸞聖人を宗祖と仰ぐ浄土真宗本願寺派(本山は西本願寺)の寺院で、築地本願寺の分院のひとつです。 1923年(大正12)年の関東大震災による築地本願寺境内の墓地・石碑移転に伴い、和田堀廟所は設立されました。 墓地は都心でも有数の広さを持ち、そこに咲くソメイヨシノは多くの参拝者に親しまれていますが、ここ和田堀廟所は墓所としてだけでなく地域の中のお寺としても活動しています。 毎月の法話会をはじめとして、お釈迦様のお誕生を祝う「はなまつり」や、お寺の朝活「夏の朝のオテラテラス」など、一年を通じて様々な行事を開催しています。 ご法事やお墓参りだけでなく、ご縁を繋ぎ、ともに歩み続けることの出来るみなさまのお寺でありたいと考えています。

現地説明板
築地本願寺 和田堀廟所

当廟所は、浄土真宗本願寺派(西本願寺)に所属する築地本願寺の分院で、阿弥陀如来立像が本尊として安置されています。

大正十二年(一九二三)九月一日の関東大震災によって、築地本願寺は、地中五十七の子院と共に、焼失しました。 その再建については、他に移転の議もありましたが、結局現地復興となり昭和十年(一九三五)インド様式の大本堂の完成を見ました。 墓地については、他に移転することにしていたところ、陸軍省火薬庫跡であった当地が払い下げられることになり、昭和四年(一九二九)出願が許可され、 翌五年当地を所有し、地名にちなんで和田堀廟所と名付けられました。

一二、〇〇〇坪(三九、六〇〇平方メートル)の広さを有し、富士が望める閑静な近代的公園式墓地として注目されました。

ところが昭和二十年(一九四五)五月二十五日、空襲により建物はことごとく焼失しました。 しかし、幾多の困難の中バラック建の仮本堂を建てて宗教活動を続けました。 ようやくにして同二十八年、本堂が再建され、更に門信徒会館等が建てられ今日に至っています。

墓地には樋口一葉・九條武子・海音寺潮五郎・古賀政男・水谷八重子・服部良一等有名人の墓があります。 また、明歴の大火(一六五七)で焼失した築地本願寺(当時は浜松御坊)の再建に力を尽した佃島の人々の墓地があり、その佃島の祖先三十三名の由来が書かれた石碑も建てられています。

平成二十二年三月

杉並区教育委員会

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地図
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参考文献
編集メモ
写真撮影日 最終リンク先確認日
  • 2021/02/06
  • 2021/04/07