甲州街道紀行

No.232「常久一里塚」

< No.231 常久八幡神社
No.232A 東府中駅 >
所在地

東京都府中市清水が丘

概要

この常久一里塚跡は、江戸時代初期に整備された甲州古道にある一里塚で、江戸,日本橋からちょうど七里目にあたります。 一里塚は旅人に里程を知らせるために、徳川家康が慶長九年東海道などの街道沿いに築かせたもので,その後日本全国に普及していきました。 塚の上には、榎やけやきなどが植えられて、旅人が陽射しを避ける休所ともなったでしょう。

現地説明板
府中市指定文化財
市史跡 甲州街道常久一里塚跡

一里塚は旅人に里程を知らせるため、街道の両側に一里(約四キロ)ごとに築かれた塚で、我が国では江戸時代になり制度として確立した。 すなわち、慶長九年(一六〇四)徳川家康は江戸日本橋を起点として東海道・東山・北陸の三道に一里塚を築かせ、それを全国に普及させた。

塚上には塚を固めるため榎をはじめ松や欅などが植えられ、これが旅人にとっては日ざしをさける木かげの休所となった。

この常久一里塚跡は、江戸初期に整備された甲州街道の日本橋から七里のところに設けられた一里塚の跡と伝えられているものである。 府中市内では、このほか日新町一丁目の日本電気株式会社府中事業場内にある一里塚跡が「市史跡 甲州街道本宿一里塚跡」として府中指定文化財となっている。

平成十五年三月

府中市教育委員会

フォトギャラリー

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地図
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参考文献
編集メモ
写真撮影日 最終リンク先確認日
  • 2021/02/06
  • 2021/09/16