甲州街道紀行

No.46「馬場先門跡」

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所在地

東京都千代田区皇居外苑

概要

内濠に架かり、丸の内二・三丁目の間から皇居正面に通じる土橋です。馬場先門は寛永6年(1629)に広島藩の初代藩主浅野長晟らによって造られました。 門名の由来は、三代将軍徳川家光が門内の馬場で朝鮮使節の曲馬を上覧したことから、朝鮮馬場の名が生まれ、馬場先の名が付けられました。橋の北側は馬場先濠、南側は日比谷濠です。 日露戦争勝利の提灯行列が、この門にはばまれて大勢の死傷者が出たため、明治39年(1906)に枡形は撤去されました。現在は石垣の一部だけ残っています。す。

現地説明板
馬場先門跡

門の名は、寛永期(1624~1644年)に門内の馬場で朝鮮使節の曲馬を将軍が上覧し朝鮮馬場と呼ばれていたことに由来します。 門は1629年(寛永6年)に築造されました。 枡形石垣は1906年(明治39年)に撤去されました。

明治維新後、二十橋からこの門を経た丸の内一帯は東京の中心街となり、現在も丸の内には復元された三菱一号館や、明治生命館、東京府庁舎跡などがあります。

--英語省略

千代田区

江戸初期は架橋されず、
不開門と呼ばれていた。
『江戸図屏風』国立歴史民俗博物館
大正時代の一丁倫郭
絵葉書:『馬場先通ヨリ宮城ヲ望ム』個人蔵
江戸城を取り巻く地形と文化財
フォトギャラリー

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地図
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参考文献
編集メモ
写真撮影日 最終リンク先確認日
  • 2021/02/04
  • 2021/03/04