甲州街道紀行

No.80「日本水準原点」

< No.79 櫻の井
No.81 国会議事堂 >
所在地

東京都千代田区永田町

概要

水準点の高さを定めるため、明治24年(1891年)に「日本水準原点」が設置されました。 全国の主要な道路沿いに設置されている水準点の高さは、この日本水準原点に基づいて水準測量により決められ、この水準点がその地域において行われる高さの測量の基準となります。 日本水準原点は、経年変化による高さの変動が生じないように、基礎が地下10mまで達しています。 しかし、大正12年(1923年)の関東大震災で大きな地殻変動があり、日本水準原点の標高は24.500mから24.414mに変更され、昭和24年(1949年)の測量法施行令制定により24.4140m と定められました。 平成23年(2011年)東北地方太平洋沖地震に伴い、現在の標高は24.3900mとなっています。

現地説明板

重要文化財【建造物】

「日本水準原点」

所在地 東京都千代田区永田町1丁目1番2号
指 定 令和元年12月27日

日本水準原点は、明治24年に創設された我が国の高さの基準になるもので、130年近くにわたり、我が国の測量の歴史を支えている重要な施設です。

日本水準原点の歴史的及び技術的な価値が認められ、測量分野の建造物としては初となる国の重要文化財に指定されました。

日本水準原点

日本水準原点の零目盛りは、温度変化の影響を受けにくい水晶板に刻まれており、丈夫な花崗岩台石にはめ込まれ、固い岩盤まで達する約10mの基礎に支えられています。

日本水準原点標庫

日本水準原点標庫は、ドーリス式ローマ神殿形式の古典的建築で、日本人建築家により設計された初期の洋風建築として、歴史的、建築学的にも貴重なものです。

令和元年12月

国土地理院

日本水準原点

日本水準原点は、我が国の土地の標高を測定する基準となる点である。明治24年(1891年)5月にこの場所に設置した。

日本水準原点の位置は、この建物の中にある台石に取り付けた水晶板の目盛りの零戦の中心である。その標高は、明治6年から12年までの東京湾の潮位観測による平均海面から測定したもので、 当時24.500メートルと定めた。

その後、大正12年(1923年)の関東地震による地殻変動に伴いその標高を24.4140メートルに改正したが、 平成23年(2011年)3月11日の東北地方太平洋沖地震による地殻変動に伴い24ミリメートル沈下したため、新たに24.3900メートルに改正した。

電子基準点「東京都千代田」は、日本の標高の基準となる日本水準原点(明治24年(1891年)設置)の近傍にあり、その標高を常時モニタリングする役割も担っている。

平成23年10月21日

国土地理院

電子基準点「東京千代田」

この電子基準点は、我が国の準天頂衛星システムや米国のGPSなどの衛星測位システムの信号を常時受信し、地球上の正確な三次現位置を計測・モニタリングする施設である。 国土地理院は、全国に電子基準点網を構築して、土地の測量や地図の調製に必要な位置の基準を提供するとともに、国土の地殻変動をモニタリングしている。 また、受信した信号は高精度なリアルタイム位置情報サービスにも利用されている。

電子基準点「東京都千代田」は、日本の標高の基準となる日本水準原点(明治24年(1891年)設置)の近傍にあり、その標高を常時モニタリングする役割も担っている。

平成30年3月

国土地理院

フォトギャラリー

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編集メモ
写真撮影日 最終リンク先確認日
  • 2021/02/04
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