
所在地
東京都千代田区千代田
概要
半蔵門は甲州街道に繋がる、江戸城内郭門の一つで、門は元和6年(1620)、仙台藩(現・宮城県)藩主伊達政宗ほか6名の東国大名により築造されています。 江戸城の「搦手門」として、将軍有事の際にはこの門から出て甲州街道を通り、甲府へ逃れるルートが想定されていました。 かつては枡形城門だったが、1871年(明治4年)に渡櫓門が撤廃され、現在は和田倉門から移築された高麗門だけになっています。 名前の由来は諸説ありますが、服部半蔵に由来するといわれています。
現地説明板
半蔵門
江戸城内郭門の一つで、「こうじまち口」とも呼ばれ、四谷門とともに甲州街道の要衝となっていました。 名前の由来は、伊賀者の服部半蔵がこのあたりに配下とともに屋敷を拝領していたという説があります。 ほかにも、この門から城内に入る山王祭礼の象の山車が枡形門をくぐることができず、半分だけしか入らなかっという説もあります。 門は1620年(元和6年)仙台藩(現在の宮城県)藩主伊達政宗ほか6名の東国大名により築造されました。
江戸時代には、半蔵門から入り北に進み、現在の代官町通りを通って、竹橋門(現在の竹橋駅付近)に抜けることができました。
1871年(明治4年)に渡櫓門は撤廃され、現在は高麗門だけが残り、皇室の皇居への通用門として使用されています。
--英語省略
千代田区

東京国立博物館蔵

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編集メモ
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