川越の由来は平安時代に川越と統治していた河越氏に由来しています。(諸説あり)
河越氏は現在の川越市上戸に河越館を構え、河越荘(当時の集落の単位)を取りまとめていました。
川越は、北条氏綱が統治した戦国時代から発展を始めたとされています。鎌倉方面だけでなく、江戸との交流も行われていました。
その後、1638年に川越は大火に見舞われ、川越城は全焼し、城下町の約3割が焼失しました。翌年、藩主となった松平信綱のもとで災害復興が進められました。
信綱は城郭を拡張し、川越城下を10カ町と四門前町に区画整理し、大改造を行いました。これが現在まで続く川越の町並みの基礎となっています。
また、信綱は江戸との交通を重視し、1647年には新河岸川を開設し、川越氏から東京都北区付近までの水上ルートを確保しました。
さらに、川越街道も拡張し、水陸両面で川越と江戸との交通の整備を行いました。
こうした交通網の整備により、江戸との交流が盛んになり、川越は「小江戸」と呼ばれるまでに発展しました。