飛鳥時代の7世紀頃、朝鮮半島から満州にかけての地域では高句麗、百済、新羅の三国が覇権を争っていました。最終的には新羅が唐と結び百済・高句麗を滅ぼしました。
倭国(日本)は朝鮮半島からの難民を受け入れ、東国(関東地方)に移住させていました。
そして、716年関東地方に散らばっていた高句麗人を武蔵国に移住させ、「高麗郡」が設置されました。つまり、現在も地名として残っている高麗・高麗川は朝鮮半島の高句麗からきているということです。
高麗郡は現在の川越市の入間川以西・鶴ヶ島市・日高市・狭山市の一部・入間市の一部・飯能市一部にまたがっていました。
また、現在の和光市・朝霞市・新座市・志木市の一部・戸田市の一部・東京市の一部にも同様に新羅郡が設立されました。
現在調査中
武蔵国天保国絵図(国立公文書館)
参考文献