所在地
東京都新宿区須賀町
概要
真宗大谷派寺院の西応寺は、松雲山と号します。 西応寺は、周桂和尚が麹町貝塚夫婦坂に1607年(慶長12年)創建、江戸城外堀建造に伴い1635年(寛永12年)当地へ移転したといいます。 山号は、徳川家康が当寺に来た際、庭前の松に暮雲がたなびいているさまを見て松雪山とするよう命名されたといいます。
現地説明板
新宿区指定文化財 史跡
榊原鍵吉の墓
所 在 地 新宿区須賀町十一番地
指定年月日 平成二年三月二日
幕末から明治にかけて活躍した剣客 榊原鍵吉は、天保元年(一八三〇)江戸の麻布広尾に生まれた。
十二歳のとき、麻布狸穴の直心影流 男谷信友に入門し、嘉永二年(一八四九)に免許をうける。
安政三年(一八五六)幕府講武所の剣術教授方に登用され、文久二年(一八六二)には師範に昇進、元治元年(一八六四)には下谷車坂の屋敷で道場を開いた。 慶應二年(一八六六)には幕府遊撃隊頭取となり、上野戦争で活躍するが、明治元年(一八六八)八月、徳川家達にしたがって静岡に移住した。
その後、明治政府より再三招かれるが断り、明治六年(一八七三)撃剣会を発足させ、明治維新後に衰退した剣術の再興と普及に努めた。
明治二十七年(一八九四)九月十一日死去したが、無くなるまで髷を切らず、最後の剣客と称された。
平成二十六年三月
新宿区教育委員会
新宿区登録有形文化財 工芸品
西應寺の梵鐘
所 在 地 新宿区須賀町十一番地
登録年月日 平成二十七年二月六日
西應寺の第四世住職恵白の発願により、正徳二年(一七一二)に鋳造された銅造の梵鐘である。
高さ一三〇・五センチ、口径七〇・三センチで、江戸鋳物師小沼播磨守藤原長政が製作した。
全体に成功に仕上げられた梵鐘で、江戸鋳物師の技術的特徴がよく表されている。 また銘文からは、梵鐘鋳造の由来や六七〇名に及ぶ寄進者の名を知ることができ、地域史料としての価値も高いといえる。
区内の江戸時代の梵鐘は、太平洋戦争中の金属供出により現在数が少なく、大変貴重である。
平成二十七年三月
新宿区教育委員会
フォトギャラリー
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準備中
参考文献
編集メモ
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