所在地
東京都新宿区舟町
概要
曹洞宗系単立寺院の全勝寺は、雄峰山と号します。 全勝寺は、栄巌清繋和尚が曹洞宗龍源寺と称して麹町貝塚に1578年(天正6年)創建したといいます。 1616年(元和2年)牛込藁店に、1619年(元和5年)当地へ移転しています。 創建時に檀家だった朝倉家が全勝寺の移転時に断絶、朝倉家邸宅のあった当地に移転する縁を住持が嘆いて、寺号を朝倉六兵衛在重の法名興隆院殿籌室全勝居士に因んで全勝寺と改めたといいます。 また朝倉六兵衛在重の子町奉行朝倉石見守在重も当寺に葬られた他、在重の娘を娶った牧野越中守儀成も一時葬られていた縁で牧野家の菩提寺だった乾徳精舎(現要津寺)の鐘が当寺に寄贈されたといいます。
現地説明板
新宿区指定史跡
山形大貮の墓
所 在 地 新宿区舟町十一番地 全勝寺
指定年月日 昭和五十九年十一月二日
山形大貮(一七二五~一七六七)の墓所で、はじめは全徳寺にあったが、全徳寺と全勝寺が合併したため全勝寺に改葬された。
大貮は、江戸時代中期の思想家・兵学者で、名を昌貞、字を公勝、柳荘、洞斎と号した。
甲斐国篠原村(現在の山梨県甲斐市)で生まれ、宝暦六年(一七五六)に岩槻藩士となり、江戸へ出るが、辞して塾を開き、国学・兵学を教えた。
宝暦八年(一七五八)には『柳子新論』を著し、明和三年(一七六六)に捕えられ、翌年処刑された。
平成二十九年三月三十日
新宿区教育委員会
フォトギャラリー
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地図
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編集メモ
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