甲州街道紀行

No.143「太宗寺」

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所在地

東京都新宿区新宿

概要

正式には、『霞関山本覚院太宗寺』という浄土宗の寺院です。僧・太宗が開いた草庵『太宗庵』が前身で、慶長元年(1596年)頃にさかのぼります。 内藤家五代目の正勝が寛永6年(1629年)に没し、太宗寺へ埋葬され、以後歴代の墓所になりました。 宿場である内藤新宿の中にあったことから、多数の参詣者があり、門前町も発展しました。 明治以降も新宿の発展とともに境内が整備されましたが、昭和20年の東京大空襲で火災に遭い、大きな被害を受けました。

現地説明板
内藤新宿太宗寺の文化財

住  所 新宿区新宿2-9-2
電話番号 03(3356)7731

太宗寺は、慶長年間初頭(1596頃)に僧太宗の開いた草庵を前身とし、のちの信州高遠藩主藤家の菩提寺として発展した寺院です。

かつての内藤新宿の仲町に位置し「内藤新宿の閻魔」「しょうづかのばあさん」として江戸庶民に親しまれた閻魔像・奪衣婆像や、 江戸の出入り口に安置された「江戸六地蔵」のひとつである銅造地蔵菩薩など、当時の面影をのこす多数の文化財が伝えられています。

ミニ博物館「内藤新宿太宗寺の文化財」では、太宗寺に伝えられる文化財や、内藤新宿の歴史などを紹介しています。 ぜひ、ご覧下さい。

※寺務所にて、解説パンフレットを配布しています。

太宗寺の文化財①
東京都指定有形文化財 彫刻

銅造地蔵菩薩坐像(江戸六地蔵のひとつ)

附旧像内納入品

指定年月日 昭和四十五年八月三日

江戸時代の前期に、江戸に出入口六ヶ所に造立された「江戸六地蔵」のひとつです。

銅造で像高は二六七センチメートル、正徳二年(一七一二)九月に「江戸六地蔵」の三番目として甲州街道沿いに造立されたもので、製作者は神田錦町の鋳物師太田駿河守正儀です。

なお、像内には小型の銅造六地蔵六体をはじめ、寄進者名簿などが納入されていました。

「江戸六地蔵」は、深川の地蔵坊正元が発願し、江戸市中から多くの寄進者を得て造立したものです。 各像にはその名前が刻まれていますが、その合計は七万二千名以上におよんでいました。

この他の「江戸六地蔵」は次のとおりですが、永代寺のものは現存していません。

以下省略--

フォトギャラリー

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地図
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参考文献
編集メモ
写真撮影日 最終リンク先確認日
  • 2021/02/04
  • 2021/03/28