甲州街道紀行

No.144「正受院」

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所在地

東京都新宿区新宿

概要

浄土宗の寺院で、正式には『明了山正受院願光寺』といい、文禄3年(1594年)に創建されました。 『奪衣婆像』は、三途の川のほとりで死者の衣類をはぎ取る恐ろしい老婆の姿です。 旗本・高力氏が妻の像を作らせたところ、あまりにも恐ろしい姿に出来上がってしまったので、正受院に納めたという伝説もあります。 元禄14年(1701年)かそれ以前に安置されたといわれています。咳どめの霊験があるとなどとして庶民の信仰を集め、嘉永2年春には参詣客が絶えない流行神と称されました。 ほかにも、毎年2月8日に盛大に「針供養」が行なわれる『針塚』や、戦後一時アメリカに持ち去られ、昭和37年に返還された『平和の鐘』などがあります。

現地説明板

新宿区指定有形民俗文化財

正受院の奪衣婆像

所 在 地 新宿区新宿二丁目十五番二〇号
指定年月日 昭和五九年一一月二日

木造で像高七〇センチ。 頭から肩にかけて頭巾状の綿を被っているため、「綿のおばば」とも呼ばれる。 咳止めや子どもの虫封じに霊験があるといわれ、錦は咳止めの御礼参りに奉納したと伝えられる。

同時代の事件や、巷の噂話を記した『藤岡屋日記』によれば、正受院へ押し入った泥棒が、奪衣婆の霊力により捕えられた話や、 錦に引火した灯明の火を、奪衣婆自らもみ消したなどの逸話が評判を呼び、嘉永二年(一八四九)春にかけて江戸中から参詣人が集まったという。

本像は小野篁の作であるとの伝承があり、また田安家所蔵のものを同家と縁のある正受院に奉納したとも伝えられる。 構造や作風から江戸時代初期の作と考えられ、像低のはめ込み版から、元禄年間(一六八八~一七〇四)には正受院に安置されていたことが分かる。

平成三十一年三月二十九日

新宿区教育委員会

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参考文献
編集メモ
写真撮影日 最終リンク先確認日
  • 2021/02/04
  • 2021/03/28