甲州街道紀行

No.148「天龍寺」

< No.147 雷電稲荷神社
No.148A 新宿跨線橋 >
所在地

東京都新宿区新宿

概要

もと牛込納戸町にあり、江戸城の表鬼門鎮護の上野寛永寺に対し、裏鬼門鎮護の寺とされた江戸の人々に時刻を知らせた「時の鐘」は江戸三名鐘の一つ。区指定有形文化財に指定されています。 明和4年(1767)改鋳。この鐘をつくときの基にしたやぐら時計は同年寄進といいます。 特に内藤新宿の盛り場で夜更けまで遊ぶ者には警鐘と聞こえたので、「追い出しの鐘」とも呼ばれました。 この鐘の鐘楼は、木造瓦葺、四脚吹貫造で、大正4年に建立されたものです。 現在の位置に移築したのは最近のことだが、基壇の石組も上部の建物も、建立当時のままの姿を残しています。 基壇は4メートル60センチ四方で、高さ1メートル、鐘楼は柱の間隔2メートル80センチで高さ4メートルあり、均整の取れた鐘楼です。

現地説明板

新宿区指定有形文化財 工芸品

天竜寺のやぐら時計

所 在 地 新宿区新宿四丁目三番十九号
指定年月日 昭和六十一年十一月七日

時の鐘とともに、牧野備後守貞長が寄進したもので、この時計をもとに鐘と撞いたという。 製作時期は不明であるが、天竜寺に寄進されたのは、現在の鐘と同じ明和四年(一七六七)と考えられる。

時計は、高さ一〇三センチのやぐらに乗せられているため、やぐら時計と呼ばれる。 時計本体は、高さ二四・五センチ、幅一六・五センチの鉄製の箱で、鈴柱に椀を伏せたような鐘が取りつけられ、蝶型の止め金具で止められている。 棒天府は一挺である。 本体の下からは動力用・鐘用の重りが二個ずつ紐で下げられている。 当初は和時計であったが、文字盤は明治六年(一八七三)の改暦後に二十四時間制のものに付け替えられたと推定される。 文字盤の中央には牧野家の三つ柏紋が付いており、柏の葉の一端が針になっている。

平成二十六年三月

新宿区教育委員会

新宿区指定有形文化財 工芸品

天竜寺の時の鐘

所 在 地 新宿区新宿四丁目三番十九号
指定年月日 昭和六十一年八月一日

明和四年(一七六七)に鋳造された梵鐘で、内藤新宿に時刻を告げた「時の鐘」である。

天竜寺の梵鐘は、元禄十三年(一七〇〇)に常陸笠間藩主牧野備後守貞長により寄進されたもので、 現在の鐘は、銘文によれば元禄十三年の初鋳、寛保二年(一七四二)の改鋳に続く三代目の鐘であることがわかる。

総高一五五センチ、口径八五・五センチ、多摩郡谷保(現 国立市)の鋳物師関孫兵衛種久の鋳造である。

この鐘は、内藤新宿で夜通し遊興する人々を追い出す合図として「追出しの鐘」と呼ばれた。 また、このあたりは江戸市中の西の端であり、武士が江戸城に登城するのも時間がかかるため、明け六つの鐘を少し早く撞いたとも伝えられる。

平成二十六年三月

新宿区教育委員会

聖観世音菩薩

石彫 丈一五〇センチメートル

観音さまは自在に姿を変え一切の苦しみを救う慈悲の仏様です。

中でも「聖観音」は種々の相に姿を変える前の元々の相をした観音さまのことです。

観音経の一節には次のように説かれております。

一心に観音の御名をとなえ念ずれば即席に願いを聴きとどけ諸の苦悩を救いたまう。

フォトギャラリー

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地図
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参考文献
編集メモ
写真撮影日 最終リンク先確認日
  • 2021/02/04(天竜寺)
    2021/02/06(時の鐘・天竜寺説明板・聖観世音菩薩・聖観世音菩薩説明板)
  • 2021/03/28