甲州街道紀行

No.169「託法寺」

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所在地

東京都杉並区永福

概要

真宗大谷派寺院の託法寺は、光栄山と号します。 託法寺は、井野直次郎が開基となり、寛永11年(1634)江戸四ッ谷永住町(現新宿区四ッ谷4丁目)に、四谷善慶寺の寺中寺として、僧釋浄圓(俗称本多氏)が創建したといいます。 大正11年、環状4号線造成のため当地へ移転しています。

この周辺には6個の寺院が立ち並んでいますが、すべて区画整理等で移転されてきたものです。

現地説明板
託法寺

当寺は、光栄山と号する真言宗大谷派の寺院です。 本尊は、阿弥陀如来立像で像高九十センチメートル、寄木作り、彫眼で江戸末期の作と言われています。

寺伝によれば、開山は寛永十一(一六三四)年、江戸四ッ谷永住町(現新宿区四谷四丁目)に浄円によって開創されました。 浄円は俗姓を本多と称したと伝えられています。

開山当時の様子は明らかではありませんが、江戸期の『御府内沿革図書』の四ツ谷大木戸附近の部を見ると、 東長寺(現存)の説明に寛永元(一八四八)年、境内の西方を託法寺に貸した旨の記載があります。 また文久二(一八六二)年の江戸切絵図には、東長寺境内の一部が当寺借地分として区画されています。 明治十三(一八八〇)年の『寺院明細帳』には罹災の為か本堂の記載がなく仮庫裡三十三坪(約一〇八・九平方メートル)となっています。 また神田の町人幸助という人が寄附した六坪(一九・八平方メートル)の門があり、檀家は三十一戸でした。

大正に入り、東京市の都市計画事業により移転を命ぜられ、同十一(一九二二)年、近隣の栖岸院所有地千余坪(約三三〇〇平方メートル)を得て、当地へ移転しました。 これは区内浄土真宗移転寺中、最も早い移転といえます。 しかし、昭和二十(一九四五)年五月二十五日に空襲を受け全焼してしまいました。 同二十八(一九五三)年八月に復興し、今に至っています。

平成三十一年二月

杉並区教育委員会

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地図
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参考文献
編集メモ
写真撮影日 最終リンク先確認日
  • 2021/02/06
  • 2021/04/09