所在地
東京都杉並区永福
概要
浄土真宗本願寺派寺院の善照寺は、本光山歓喜院と号し、もと築地本願寺の寺中寺です。 善照寺は、相州小田原に開創されましたが、1590(天正18年)7月、豊臣秀吉の小田原城攻略の際に罹災し、江戸に移転、幾たびかの移転を経て築地本願寺の子院となり、昭和3年当地へ移転しました。
この周辺には6個の寺院が立ち並んでいますが、すべて区画整理等で移転されてきたものです。
現地説明板
善照寺
当寺は本光山と号する浄土真宗本願寺はの寺院で、本尊は江戸期の作といわれる阿弥陀如来立像です。
「府内誌残編」によると、相州小田原に開創されましたが、天正十八年(一五九〇年)七月、豊臣秀吉の小田原城攻略の際に罹災し、堂宇を焼失しました。
その後、江戸に移り再興されましたが、その場所は詳かではありませせん。
慶長年間(一五九六~一六一四年)より、木挽町(現中央区銀座東辺り)、神田金沢町(現千代田区外神田三丁目)、下谷七軒町(現台東区元浅草一丁目)、 新堀端(現港区南麻布二・三丁目)等へ移転し、現在の築地本願寺の前身である浜町御坊(江戸浜町・源中央区東日本橋三丁目)の子院となりました。 しかし、ここでもまたいわゆる「振り袖火事」(明暦三年<一六五七>)にあい、浜松御坊とともに焼失しました。
万治年中(一六五七~一六六〇)、八丁堀先の海辺を埋め立てた代地(現中央区築地三丁目)に浜町御坊が移転するのに伴って、当寺もその寺中に移りました。
大正十二年九月、関東大震災で築地本願寺やその子院とともに全焼し、昭和三年八月九日、区画整理のため現在地へ移転して来ましたが、昭和二十年五月二十五日夜、焼夷弾の集中投下により、 またしても堂宇ことごとく烏有に帰しました。
その後、昭和四十五年二月本堂を落慶し、ここに迦藍を再興しました。
平成十七年十月
杉並区教育委員会
フォトギャラリー
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- 善照寺
- 善照寺説明板
地図
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準備中
編集メモ
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