甲州街道紀行

No.192「金龍寺」

< No.191 庚申塔
No.193 地蔵菩薩立像 >
所在地

東京都調布市西つつじケ丘

概要

曹洞宗系単立の金龍寺は、大雲山と号します。 1206(建永元年)明庵千光国師栄西禅師により開基されたと伝えられます。 1594(文禄3年)世田谷勝光院六世乾晨寺三世岳応守英大和尚が曹洞宗寺院として(中興)開山、1649(慶安2年)には寺領13石4斗の朱印状を拝領しています。

現地説明板
大雲山金龍寺

本 尊 釋迦牟尼佛(おしゃかさま)
脇侍佛 文珠菩薩(もんじゅさま)
普賢菩薩(ふけんさま)

建永元年(西暦一、二〇六年)明庵千光国師栄西禅師(中国ー宋ーより茶の種子を持ち帰り、京都宇治の里に広めた僧としても有名な学僧)により開基された当山は、 初め金子弁財天社内に安置、南光坊と称する堂宇であった。 治承の頃、源義經弁慶以下を従へてこの地に来た。 梶原景時の讒訴により奥羽落託の途次である。 この時、一行は弁才天に休し前途の恙なきを祈り、義經巳下斉戒して池水を以て大般若四十五軸を書写した。 のちにその池を写經の池と称し、山号を写經山と称した。

文禄三年世田谷勝光院六世乾晨寺三世岳応守英大和尚により曹洞宗となった。 往時、寺の裏に五本松と呼んだ大老松があり 鴻が巣籠りをしていたが、慶安二年徳川三代将軍家光が狩猟の途次、その光景を見て奇とし、またその歓待に朱印を寄せた。 当時のまま朱塗り山門が残存している。

また境内にある閻魔十大王の石像は、源頼朝の祈願によるもので、現在も十王街道(川越から鎌倉街道に出る拠点)の名称が残っている。 寛文五年再建の時、山号を大雲山と改め、諸堂宇尽く現在地に移った。

星霜七百有余年を經、機を得、昭和四十六年旧道を廃し、境内池水共々新装し、以て壇信徒帰依の根本道場となした。

―――― 平成十七年開山八百年 ――――

十八阿羅漢尊者(らかんさん)

阿羅漢(ARAHN)=應供と釈し、「人々の供養を受ける資格のある人」「価値のある人」「悟り得た人」で、釋尊とそのお弟子達を指し、 道元禅師(曹洞宗開祖)は「自由自在の世界を創造的に生きている人」示し、「呼吸は鼻から無心に出入れしている、この姿こそ真の阿羅漢である」と表現しておられる。 今、此にその徳を偲び、慕い、私たちの尊師として日々接し、「亡き者への追慕」「祖先への追善、追福」「病魔退散」「佛法興隆」及び「羅漢讃仰」等、この世の願いと祈りを込め造立する。 十八羅漢の内、第一~第十六を境内へ、第十七、第十八は本堂内に夫々建立安置する。

フォトギャラリー

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地図
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参考文献
編集メモ
写真撮影日 最終リンク先確認日
  • 2021/02/06
  • 2021/04/20