甲州街道紀行

No.21「芭蕉句」

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所在地

東京都中央区日本橋室町

現地説明板
発句也松尾桃青宿の春
東海道名所図絵
秋里籬島著

松尾芭蕉は、寛文十二年(一六七二)二十九歳の時、故郷伊賀上野から江戸に出た。 以後延宝八年(一六八〇)三十七歳までの八年間、ここ小田原町(現室町一丁目)の小沢太郎兵衛(大舟町名主、芭蕉門人、俳号ト尺)の借家に住んだことが、 尾張鳴海の庄屋下里知足の書いた俳人住所録によって知られる。 当時「桃青」と称していた芭蕉は、日本橋魚市場にまちかな繁華の地に住みつつ俳壇における地歩を固め、延宝六年には俳諧宗匠として独立した。 その翌年(延宝七年)正月、宗匠としての迎春の心意気を高らかに詠み上げたのがこの碑の句である。 碑面の文字は、下里知足の自筆から模刻した。

日本橋を北に渡った東側に魚市場があった。河岸には魚を満載した舟が漕ぎ寄せられ、早朝から威勢のいい掛け声で賑わった。 この絵の右側すなわち北側二筋目の通りが、芭蕉の住んでいた小田原町で、そこにも魚屋が並んでいた。芭蕉は魚市場の喧騒を耳にしながら暮らしていたのである。

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編集メモ
写真撮影日 最終リンク先確認日
  • 2021/02/04
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