甲州街道紀行

No.34「北町奉行所跡」

< No.33A 日本橋二丁目交差点
No.35 江戸城外堀の石垣 >
所在地

東京都千代田区丸の内

概要

江戸の町奉行は、江戸市中の行政・司法・警察など、幅広い分野を担当していました。南北2 か所に設置され、それぞれ何度か移転しています。 北町奉行所は1806年(文化3年)から幕末まで、呉服橋御門内にありました。現在の呉服橋交差点の南西、東京駅日本橋口周辺に当たります。

現地説明板
都旧跡 北町奉行所跡

所在地 東京都千代田区丸の内一丁目一番地国鉄所有地内
指定 大正七年四月

江戸町奉行は徳川幕府の職制のひとつで寺社奉行勘定奉行とともに三奉行と呼ばれていた。 江戸町奉行は老中の支配に属し配下の本所奉行道役小伝馬町牢屋寄場奉行町年寄を統轄した。 その職掌は江戸府内の行政司法警察の一切にわたっていた。定員は二名で南北両奉行に分かれ月番で交替に執務したが時に応じて増減された。 原則として旗本が任命され役科は三千石芙蓉間詰で勘定奉行の上座輩下に与力同心などがいた。 「いれずみ奉行」として名高い遠山左衛門尉景元(遠山金四郎)は天保十一年(一八四〇)三月から三年の間北町奉行の職にあった。

昭和四十三年十月一日
東京都教育委員会

フォトギャラリー

クリックすると拡大表示されます。

地図
広告
参考文献
編集メモ
写真撮影日 最終リンク先確認日
  • 2021/02/04
  • 2021/03/03