甲州街道紀行

No.55「明治大学開業記念碑」

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所在地

東京都千代田区丸の内

概要

明治法律学校(後の明治大学)は岸本辰雄、宮城浩蔵、矢代操の三人の創立者によって1881年(明治14年)、 麹町区の数寄屋橋の一角、旧島原藩上屋敷跡に開校しました。 発祥の地記念碑は、明治大学の建学の精神を顕彰し、教育の近代化の道標を明らかにしようと1995年(平成7年)、東京・有楽町(千代田区有楽町二丁目)に建立されました。

現地説明板

明治法律学校(現明治大学)は、明治十四年(一八八一)一月十七日に旧肥前島原半主松平氏の上屋敷であったこの地に開校した。 創立者の岸本辰雄、宮城浩蔵、矢代操の三人は、更進生として鳥取藩、天童藩、鯖江藩を代表して大学南校に遊学し、つづいて明法寮でボアソナードにフランス法を学んだ。 その後フランスに留学し、とくに「権利自由、独立自治」の精神の普及をめざして本学を設立した。 当時彼らはいずれも三〇歳に満たぬ白面の書生であった。

明治大学発祥の地(深溝松平家上屋敷跡)

かつて外濠川に面したこの付近には、1691年(元禄4年)以来、肥前島原藩(現在の長崎県)などを治めた深溝松平家の上屋敷が置かれていました。

明治維新後、屋敷は、政府の収用を免れて貸し出されることになり、民権結社による演説会などが盛んに催されました。 1881年(明治14年)1月17日、若き法律家である岸本辰雄・宮城浩蔵・矢代操は、屋敷の一部を借り受け、同心協力して明治法律学校(明治大学の前身)を開校し、 1886年(明治19年)に神田区駿河台南甲賀町(現在の神田駿河台)へ移転するまで、我が国の近代化を担う法曹の育成に努めました。

1995年(平成7年)、同地に「明治大学発祥の地」碑が建立されました。

千代田区

創立期の明治法律学校(想像図)
明治大学駿河台キャンパス(2019年)
青丸が現在地付近。北側囲みが上屋敷地
この地図は〈一財〉日本地図センターが刊行した「五千分一東京図測量原図」のうち、「東京府武蔵国麹町区八重洲町近傍」 及び「東京府武蔵国京橋区木挽町近傍」を使用しました。
フォトギャラリー

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地図
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参考文献
編集メモ
写真撮影日 最終リンク先確認日
  • 2021/02/04
  • 2021/03/04