甲州街道紀行

No.76「米沢藩上杉家江戸藩邸跡」

< No.75A 霞が関中央官庁案内
No.77 法務省旧本館 >
所在地

東京都千代田区霞が関

概要

桜田門の正面は、米沢藩上杉家上屋敷でした。 初代藩主上杉景勝は会津若松120万石を領した大大名だったが、関ヶ原の戦いの際に西軍に与し、出羽米沢30万石までに減封。その後さらに15万石に減封されました。 米沢藩を立て直したのは、9代藩主上杉鷹山でした。

現地説明板
米沢藩神杉家江戸藩邸跡

関ヶ原の戦いの後、上杉景勝は徳川家康によって出羽米沢三十万石に移封されました。 慶長八年(一六〇三)、桜田門外の当地(現法務省の一部)に建てられた上杉家の江戸屋敷は「桜田屋敷」と呼ばれ、幕末まで江戸藩邸として中心的な役割を果たしました。

左の絵図は江戸時代初期に制作された「江戸図屏風」に描かれた藩邸周辺の様子です。

二〇〇三年五月十六日 米沢市

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地図
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参考文献
編集メモ
写真撮影日 最終リンク先確認日
  • 2021/02/04
  • 2021/03/05