甲州街道紀行

No.98「服部半蔵の墓」

< No.97 西念寺
No.98A 観音坂 >
所在地

東京都新宿区若葉

現地説明板

新宿区登録有形文化財 歴史資料

服部半蔵の槍

所 在 地 新宿区若葉二丁目九番地
登録年月日 昭和六十三年三月四日

「鬼の半蔵」の異名を持つ服部半蔵(一五四二~一五九六)が、元亀三年(一五七二)の三方ケ原の戦の戦功により、徳川家康より拝領したと伝えられる槍で、 半蔵が開基となったこの西念寺本堂に現在も保存されている。

第二次世界大戦の空襲により焼損するなど槍先と柄の一部が欠けているため、現状では全長二五八センチメートルである。

戦国時代の槍が、半蔵が創建した西念寺に出んぞんしている点で貴重な歴史資料である。

服部半蔵と西念寺

服部半蔵は、徳川家康の旧臣で、槍の名手として、また、伊賀者の頭領として知られている。

家康の長男、信康の切腹に際し、介錯を命ぜられた半蔵は、任を果たすことができず、以後信康の冥福を祈るために仏門に入った。

その後、寺院を建立し、山号、寺号は半蔵の法名から取り「専称山安養院西念寺」とした。 寛永十一年(一六三四)江戸城外堀の開削に伴い、西念寺は現在地に移転した。

境内には、服部半蔵の墓と信康の供養塔がある。(共に区指定史跡)

平成三十年三月

新宿区教育委員会

新宿区指定史跡

服部半蔵の墓

所 在 地 新宿区若葉二丁目九番地
登録年月日 昭和五十九年七月六日

服部半蔵(一五四二~九六)は、本名を正成といい、徳川家康の三河以来の旧臣で、家康十六将の一人に数えられる武将である。

「鬼の半蔵」として知られ、元亀三年(一五七二)三方ケ原の戦い、天正十八年(一五九〇)小田原攻めで功をあげ知行八千石を賜り、 同年の家康の江戸入府後は、江戸城西門近くに居を構え、城の警備等にあたった。 半蔵門の名は彼の名に由来する。

半蔵は、天正七年(一五九六)家康の長男信康が切腹する際介錯役を命じられた。 しかし、これを果たせず、晩年、信康の菩提をとむらうため麹町清水谷に庵を建て、西念と号し、仏門に帰依した。

文禄二年(一五九三)には家康から寺院を建立するように内命を受けたが、慶長元年(一五九六)壱壱月、五十五歳で没した。

西念寺は、半蔵の没後完成し、寛永十一年(一六三四)江戸城の外堀拡張・新設の際現在地に移転したものである。

平成十七年二月

新宿区教育委員会

フォトギャラリー

クリックすると拡大表示されます。

地図
広告
編集メモ
写真撮影日 最終リンク先確認日
  • 2021/02/04
  • -