所在地
東京都新宿区若葉
概要
西念寺は、忍者として有名な服部半蔵正成公の開基によって、松平信康公(徳川家康公嫡男)の供養の為に開創されました。 1634年(寛永11年)江戸城外廊拡張に伴う外濠新設の為、幕府の政策により濠の外に集団的に各寺院を配置し、西念寺もその際に現在地に至りました。 1945年(昭和20年)戦災により全ての建物は焼失し、昭和36年(1961)11月本堂再建されました。
現地説明板
新宿区登録有形文化財 歴史資料
服部半蔵の槍
所 在 地 新宿区若葉二丁目九番地
登録年月日 昭和六十三年三月四日
「鬼の半蔵」の異名を持つ服部半蔵(一五四二~一五九六)が、元亀三年(一五七二)の三方ケ原の戦の戦功により、徳川家康より拝領したと伝えられる槍で、 半蔵が開基となったこの西念寺本堂に現在も保存されている。
第二次世界大戦の空襲により焼損するなど槍先と柄の一部が欠けているため、現状では全長二五八センチメートルである。
戦国時代の槍が、半蔵が創建した西念寺に出んぞんしている点で貴重な歴史資料である。
服部半蔵と西念寺
服部半蔵は、徳川家康の旧臣で、槍の名手として、また、伊賀者の頭領として知られている。
家康の長男、信康の切腹に際し、介錯を命ぜられた半蔵は、任を果たすことができず、以後信康の冥福を祈るために仏門に入った。
その後、寺院を建立し、山号、寺号は半蔵の法名から取り「専称山安養院西念寺」とした。 寛永十一年(一六三四)江戸城外堀の開削に伴い、西念寺は現在地に移転した。
境内には、服部半蔵の墓と信康の供養塔がある。(共に区指定史跡)
平成三十年三月
新宿区教育委員会
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編集メモ
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