甲州街道紀行

No.171「浄見寺」

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所在地

東京都杉並区永福

概要

浄土真宗本願寺派寺院の浄見寺は、柳水山と号し、もと築地本願寺の寺中寺、もと麻布善福寺末です。 開山は、釋教心で慶長15年2月現京都市伏見区深草の地に開創、元和7年3月築地本願寺の前身である江戸浜町御坊が創建されるとこの寺中に移転、昭和3年8月当地に移転しました。

この周辺には6個の寺院が立ち並んでいますが、すべて区画整理等で移転されてきたものです。

現地説明板
浄見寺

当寺は、柳水山と号し浄土真宗本願寺派の寺院です。 開山は、釋教心で慶長十五年(一六一〇)二月、現京都市伏見区深草の地に開創されました。

その後、元和七年(一六二一)三月、築地本願寺の前身である江戸浜町御坊が創建されるとこの寺中に移転しました。 御坊中門の左手に、間口十八間(約三十二・四メートル)奥行二十間(約三十六メートル)の敷地を持ち、寺中二十八ヶ寺中でもかなりの寺容でした。 ところが明暦三年(一六五七)いわゆる明暦の大火に遭い御坊もろ共消失してしまいました。 そして、築地本願寺が新たに現在の地に建立されるのに伴い、当寺も同寺の西門前に移りました。 明暦の大火後は三度も火災に見舞われ、さらに大正十二年九月には関東大震災で罹災し、震災後区画整理事業のため昭和三年八月、現在地に移転しました。 昭和二十年五月二十五日の空襲で焼夷弾を受けて再び全焼しました。 現在の本堂は昭和三十五年に、庫裡は同五十四年に完成したものです。

本尊は阿弥陀如来立像で明和五年(一七六八)五月十日、西本願寺十七世法如上人が当寺に下げ渡したもので、その署判入りの下附状が当寺に保存されています。 像高六十四センチメートル玉眼作りの美しい仏像です。

なお墓地には、書家・狂歌師として当時有名であった中井董堂(文政四年<一八二一>没)の墓があります。

平成十六年三月

杉並区教育委員会

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地図
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参考文献
編集メモ
写真撮影日 最終リンク先確認日
  • 2021/02/06
  • 2021/04/12