甲州街道紀行

No.172「法照寺」

< No.171 浄見寺
No.173 栖岸院 >
所在地

東京都杉並区永福

概要

浄土真宗本願寺派寺院の法照寺は、寂静山潮音閣と号し、もと築地本願寺の寺中寺です。 法照寺は、相州鎌倉に開創され、天正18年湯島へ移転、元和7年浅草浜町に築地本願寺が創立された際に寺中寺となったといいます。 関東大震災後の区画整理に伴い、昭和3年当地に移転したといいます。

この周辺には6個の寺院が立ち並んでいますが、すべて区画整理等で移転されてきたものです。

現地説明板
法照寺

当寺は寂静山潮音閣と号する浄土真宗本願寺派の寺院で、本尊は阿弥陀如来立像です。

開基は明教(寛永5年〈1628〉9月4日寂)といわれますが詳細は不明です。

寺伝によれば、当寺は相州鎌倉に開創され、天正18年(1590)武州豊島郡湯島(現文京区本郷)へ移転し、 元和7年(1621)浅草浜町(現中央区東日本橋三丁目)に浜町御坊(現築地本願寺)が創立されると、その寺中に移りました。

明暦3年(1657)いわゆる「振り袖火事」で浜町御坊とともに全焼し、浜町御坊が八丁堀先の海辺を埋め立て代地(現中央区築地三丁目)に移ると、当寺も寛永年間(1662~1672)その寺中に移りました。

浜町御坊の時代、本願寺第20代法主・広如上人が当寺に寄られた折、よせる波の音を聞かれて、その記念に「潮音閣」という閣号とそれを認めた掛軸を授けられ、 以来「潮音閣」と号し、その掛軸も今に伝えられています。

大正12年9月、関東大震災により築地本願寺やその子院とともに当寺も全焼し、その後、昭和3年5月区画整理のため現在地へ移転して来ましたが、 昭和20年5月25日夜、焼夷弾の集中投下により、堂宇ことごとく灰塵に帰しました。

昭和39年本堂を新築し、ここに伽藍を再興しました。

なお当寺の墓地には荒事を能くした歌舞伎の名優、初代市川団蔵(1684~1740)や囃子方で鼓の名手といわれた寶山左衛門(2代目・1835~1910、三代目・1859~1914)などが眠っています。

平成十六年八月

杉並区教育委員会

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地図
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参考文献
編集メモ
写真撮影日 最終リンク先確認日
  • 2021/02/06
  • 2021/04/12