甲州街道紀行

No.36「呉服橋門跡」

< No.35 江戸城外堀の石垣
No.37 将門塚 >
所在地

東京都千代田区大手町

概要

呉服橋御門は、1629年(寛永6年)陸奥国や出羽国の大名によって枡形門が築かれました。 外濠通りと交差する永代通りを少し入った所に呉服橋門の枡形がありました。 外濠に架かる呉服橋の外域は町人地であり、呉服橋名は幕府御用達の呉服商が多く職住していた由来で名付けられました。

現地説明板
呉服橋門跡

呉服橋門は、1636年(寛永13年)に築造されました。門に付属する橋は、現在の丸の内一丁目と中央区の八重洲一丁目を結んでいました。 名称は、日本橋川の門前の町名が呉服町(現在の中央区八重洲一丁目)であったため、後藤橋とも称されていました。

1871年(明治4年)、呉服橋門は枡形石垣と橋を残して撤去され、さらに戦後外濠川が瓦礫により埋め立てられた際に橋も姿を消しました。 現在は「呉服橋交差点」・「呉服橋ガード」としてその名前が残っています。

呉服橋門
「旧江戸城写真帖」1871年(明治4年)撮影
東京国立博物館所蔵
江戸城を取り巻く地形と文化財
フォトギャラリー

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地図
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参考文献
編集メモ
写真撮影日 最終リンク先確認日
  • 2021/02/04
  • 2021/03/03